ホーチミンからゴミについて考える

ホーチミンではゴミは道路に捨てる。川が近くにあれば、川に捨てる人もいる。

また、食事している時、魚の骨、あるいは食べられないところなどは床にペッと吐いて捨てる。食べこぼし、紙ナプキン、楊枝等でテーブルが汚れている場合は、ふきんでサッと拭いて床に投げ捨ててしまう。テーブルの上はきれい、床はゴミだらけということになる。

初めて見た時はなんてマナーの悪い人たちなんだと思った。しかし、道路に捨てられたゴミを掃除する人たちがいて、朝になるときれいになっている。食堂の床も客がいなくなったあとできれいに掃除する。川のゴミを掃除する人もいる。但し、川のゴミは簡単にはきれいになってくれない。

日本ではいつからか知らないが、繁華街、公園からゴミを減らす策として、ゴミ箱を撤去してしまった。仕方がないから各人が家に持って帰る、コンビニのゴミ箱に捨てる、ということが起こっている。それを、日本人はマナーがとても良い、とか言って海外に向かって自慢してたりする。

ベトナム方式はゴミかたずけ専門の職業をつくりだす。誰でも高度な仕事ができるわけではない。誰でもきれいな事務所でコンピュータに向かって仕事ができるわけではない。他のことはできないが、ゴミかたずけならできるという人もいる。従って、いろいろな人が働く場所を得ることができる。これも立派な解決策と思う。

どちらが良くでどちらが悪いという問題ではない。解決策の違いである。ベトナム方式はどんな人でも社会に貢献できる。とても良い仕組みではないかと思う。日本の常識で判断してはいけない。

たまに日本に帰ると、このゴミ問題は少々堅苦しい。コンビニでお菓子を買って駅で食べる。包装袋がゴミになるが捨てるところがない。近くにゴミ箱があると便利と思う。ゴミぐらい自由に捨てたい。こんな繁華街があっても良い。

そこで、考えた。これから日本は高齢化社会。働くことで健康を保てるというのはいまや常識。日本もゴミ箱をたくさん設置して、どんどん捨てさせる。ゴミ箱の掃除は高齢者にやってもらう。高齢者には小遣いが入り、健康になる。医療費が抑制される。

一方、ゴミを簡単に捨てられるので少し気持ちが楽になる。消費が活発になることも期待できる。特に街の中での食べ歩き。

ベトナム方式にもよいことがたくさんある。日本のやり方だけが世界に自慢できる唯一

の方法ではないということに気づくべき。

 

 では、また。明日が今日より進歩しますように。