ヤング爺の就活 その1

8月末でベトナムの企業を辞めて9月には日本に戻ってきた。日本に戻った時は64歳になっていた。64歳の就職がいかに難しいかを思い知らされている日々である。
ベトナムではそれなりの責任ある仕事もしていたし、評価もされていたので日本でもなんとかなるだろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。

 

9月13日 官公庁内でのオフィスワーク 時給1,100円 場所は東京
わざわざ高い電車賃をかけて東京の派遣斡旋会社へ面接に行く。面接といっても個人情報の登録をすぐ行い、給与支払いの銀行口座登録まで行う。すぐに働けるという感じ。
ところが、10月末に旅行にいくので1週間働けないと言ったら、それはダメという。今回の仕事は短期なので長期の休みはとれないようだ。というより、休めないといったほうが正しいかもしれない。面接した担当は『立派な経歴をもっているのでもっといい仕事があるはず』などとお世辞をいう。他の仕事を探してみるので希望を教えてくれという。ならばと私はプロジェクト管理の仕事がしたいというと、それではスキル表を送ってくれといわれて送ったが、その後反応は全くない。


派遣会社に登録しておけば、高単金で仕事が得られる、と聞いたので早速有名派遣会社に登録した。私の希望の仕事の募集があったので早速応募する。応募してもまったく反応はない。それもそのはずだ、履歴書もスキル表を登録していなかったので派遣会社からすればどんなスキルをもっているか全くわからないからだ。早速、これらを登録したのはもちろんである。この効果なのか、さっそくオファーのメールがくる。しかし、通勤時間が1時間半かかるので、オファーをうけるべきかどうか躊躇していた。回答を先延ばしして3日後にOKの返事を出したが、それには全く反応がない。ここで理解した。オファーには即断即決しない限り、仕事にはありつけないのだと。雇いたい側からすれば派遣会社などどこでもよいはずだし、派遣会社からすれば候補はいくらでもいる、そんな感じなのであろう。派遣会社の営業マンは忙しいのだ。親身に付き合っていられないのだ。

 

給与の希望は月20万円前後である。なんとかなるだろうと思っていたが、難しそうである。方針変更し、簡単な仕事、自宅の近くとういう条件に変えてた。

 

まずは近所の介護施設に職員募集の貼紙があったので電話してみる。
担当の管理者がいないので翌日電話する、とのこと。次の日になって連絡がくるだろうと待っているとこない。嫌な予感がしたが、こちらから電話してみる。案の定、いまは募集していないという。そんなら職員募集の張り紙をはずせ、とい言いたいところであるが呑み込む。

 

人材募集をするWebサイトがある。たくさんの募集が載っているが60歳以上でも応募できるのは限られているのだ、ということを理解してきた。

ということでベトナムから帰国し無職になってもうすぐ3週間が過ぎようとしているが未だに仕事が見つからない。

 

それでは、また。今日より明日のほうが進歩しますように。